先日、小学校からの幼馴染みの男友達と久々にご飯を食べた。その彼が友人として連れてきたのは、隣の高校に通っていたという男性。私は初対面だったが、高校時代噂で名前は聞いたことがある。二人とも子供はすでに大きく、今は立派なお父さんだ。ぎこちなかったのは最初だけ、同じ歳ということでその場はあっという間に盛り上がった。お酒も入り、幼馴染みを介しているということもあってか、話しているうちに意気投合。どんどん遠慮がなくなり、容赦ない台詞も飛び出してきた。私が独身で一人暮らしだと話すと、「ホンマに? マジで?」といわれ、はっきり「それは不幸やなあー。ご両親可愛そうやで」と。挙句の果てには「この歳なったらオバハンやで」とも。そこからはことあるごとに「オバハン」の連呼。「俺もオッサンやけどな」と付け加えつつも止まらない。まあ、半分面白がって言っていることも承知なので、「失礼なー!」と大笑いしながら反撃。なんやかんやいいつつも賑やかに宴は終わった。
楽しい宴だったのだが、酔いが醒めたら小さなショックを受けている自分に気がついた。結婚してないことを「マジで?」といわれるのは、もう何度も経験済みでさらりとかわせた。『不幸』やら『親泣かせ』も何度も聞いたのでハイハイハイとやり過ごせた。幸せなことに、今まで自分を不幸だと感じたことは一度もないが、ま、親泣かせは事実だから仕方ない。が、問題は『オバハン』である。いや、女も30代後半にもなれば、もちろん世間的に『オバハン』といわれる年齢なのは認めよう。でも、そんなことを思っても言わさないくらい、気持ちは若いつもりでいた。見た目も、そんな言われ方をするほど老け込んではいないつもりでいた。その日だって幼馴染みとの久々の会だったので、それなりに身奇麗にしてオシャレもしていたつもりである。結婚してないことにドン引きされるのも、親不孝なことも流せるのに、『オバハン』だけはどうも合点がいかなかった。年下に言われるなら納得もできるが、同級生に言われるのはどうよ、というのが本心である。
あ〜、なんでこんなにショックなんだろうと自問自答してみたら、簡単だった。『まだ、結婚してないし』『まだ、子供も生んでないし』。そう、自分には『まだ』が多過ぎるのである。自分の中で持っていた『オバハン』の定義に自分は当てはまっていないからなのだ。あ、誤解のないように! 結婚して子供を生んだから『オバハン』になるのではない。でも『オバハン』とは、そこは軽く通過し、その後何もかも経験してから、どこかで“もういいや”と女と決別してしまったときになるものだという認識が、私にはあったのである。だから、念を押すように、いや、烙印を押すようにその言葉を連呼されると、冗談でも納得できなかったのだ。
『まだ』を理由に、『オバハン』になることも、もちろんそう呼ばれることもできれば『拒否』したいのだが、世間はそう甘くはない。悔しいけれど、同級生との宴の席で、自分の『オバハン』の認識が甘いことがよくわかった。
いっそのこと、いつ来るかわからない出来事に期待を寄せて『まだまだイケルはず!』なんて幻想を抱くより、『シングルで仕事を友に人生突っ走ってやる!』と腹を括ったほうが、ラクに生きられるのではないか。なんて自分に問いかけてみるが、日ごろ“負け犬だって”と反撃している私でも、そんな強い覚悟は『まだ』できないでいる。
ああ、女の人生って難しい・・・。